2012年09月17日

ひあいこく:愛国しか許されない哀れな中国人

反日デモで暴徒化している中国人の映像を見て思うのは、哀れなほどに滑稽だってこと。
そして、こんなバカな民族と仲良くする必要はないということ。

最近、日本人は経済発展目覚しい中国に嫉妬しているなんて、とんでも記事を見かけるけど、中国のどこに羨ましいと思える要素があるのか、まじで聞きたい(笑)。
反日デモの映像を見ても、空が汚いし、町並みも汚いし、建物もしょぼい。
何よりデモに参加している連中がこぎたない。
たとえ一億くれると言われても、あんな民度の低い不潔な国には行きたくない。
日本企業も、中国から完全撤退すればいいと思う。

中国には、言論の自由も職業選択の自由もない。ありとあらゆる自由がない。
そのことは、中国人が一番よく知っているはずだ。
そして、毒入り食品、大気汚染、賄賂漬けの役人、地震で真っ先に倒壊する学校、運行開始からすぐにクラッシュする高速鉄道・・・。
中国人の手抜き仕事の多さも中国人が一番よく知っているはずだ。
中国共産党が信用しうるまともな仕事をしていないことを知っているのに、「尖閣諸島は中国の領土だ」という中国共産党の嘘は疑わずに、反日デモに駆り出される。
それが滑稽。
頭のよい中国人は、毛沢東に皆殺されてしまったから、今の中国にはバカとバカの子孫しか残ってない。
中国人は、本気で毛沢東に怒るべきだと思うんだけど、バカだからいまだに尊敬している(笑)。
中国で反日デモが起こるたびに、中国共産党に対する民衆の不満のガス抜きだと解説されるけど、そろそろ、反日でガス抜きさせられてることに気付くべきだと思うけど、バカだから気付かない。

日本では、反日デモしかニュースにならないけど、最近、香港では大規模な愛国教育反対デモが起きている。
香港は、長いことイギリス領だったこともあって、本土の中国人より中国共産党の問題点をわかっている。
香港は、中国に返還された後も、高度な自治が認められているが、今年になって、「国民教育」という名で、中国共産党の一党独裁を美化する愛国心教育が学校の授業に導入されることになり、大規模な反対運動が起きていた。
結局、今回は、愛国心教育の導入を撤回したようだけど、中国共産党は、いずれは香港人も中国本土の人間のように洗脳する気だろう。

日本では、愛国心と言うとすぐに左翼が「軍靴の音が〜」、「軍国主義だ」と批判するけど、まともな日本人が考える愛国心は、「オリンピックで日本人が活躍するとうれしい。」とか「日本に生まれてよかったな〜」とかそういう類のもので、何の問題もない。
だが、中国が考える愛国心は、ちょっと違う。
それは、「中国共産党の正当性」のことだ。
「今の政治体制は正しい=中国共産党の政治は正しい」と信じさせることなのだ。
今の日本に置き換えれば、「民主党政権の正しさを教えること」と同じなわけで、どれだけアホらしいかがよくわかる。
政権交代したことを歴史上の快挙にみたいに教えるわけよ。
友愛主義の鳩山は人格者だとか、地震の直後に原発視察をした菅直人は勇気あるリーダーだみたいに教えるわけ(笑)。
あ〜怖い。

「愛国=中国共産党バンザイ」であれば、何をやっても許されるのは、逆を言えば、中国共産党批判は、何があっても許されないということでもある。
だから、中国共産党を批判する民主化デモを行うと逮捕されるが、中国共産党の言いなりになって反日デモをしても逮捕されない。
愛国無罪の反対は、非愛国有罪なわけだ。

中国人は、AV女優の蒼井そらについては、言われなくてもネットで調べるのに、中国共産党の嘘については調べない。
ネットも検閲されてるだろうけど、中国人は、世界中にちらばってるのだから、嘘に気付いている中国人もたくさんいるはずだ。
少しでも賢さが残っているのなら、ガス抜きの反日デモで盛り上がらない選択肢があってもいいはずだけど、そうならないから、やはりバカなのだ。
おそらく、中国共産党が一番怖いのは、反日で民衆が盛り上がらないことだろう。
中国共産党にまんまと乗せられて反日デモをしてるうちは、中国の民度は上がらない。

posted by らいと at 10:17|

2010年06月11日

ひぇ〜。未来があっという間に来たよ。

6月9日に民主党の今後をタロットで占った結果を書いたけど、占った未来が2日後だった!近すぎ!!
自分が占う未来は、だいたい1ヶ月くらい先のことが多いと書いた矢先に、2日後だなんて・・・。その日、風邪で体調が悪かったことと関係ある?
菅内閣発足の9日に出た未来のカードは、棒の8。対立が解消されて、順調に物事が進むと解釈した。そして11日。国会の会期延長に関して民主党と対立していた亀井大臣が辞意表明。
菅は、首相指名を受けてすぐの会見で、郵政法案は会期を延長しても今国会中に通すと、ずいぶん国民新党に気を使ったことを言っていた。それが2日後には、「嫌なら辞めろ」となり、亀井も「なら辞める」となった模様。郵政法案の問題点は別として、本当に民主党って約束したことを守らない。首相の所信表明前に大臣辞任なんて、任命責任が問われて当然なわけだが、マスゴミは任命責任のにの字も言わない。
とにもかくにも、目の上のたんこぶがなくなった民主党は、「棒の8」の解釈通り、障害がなくなり、スムーズに活動できる状態になった。でも、このカードは勢いあまって稚拙な結果になるという意味もある。
あまりに早く未来のカードが実現してしまったので、再度占ってみた。今回は、サイト(WESTMiRa)の自動占いを利用。
民主党の今後。占った日は6月11日。
過去:棒7(逆)⇒混乱。後手に回る。自分の意見を持てず周りの意見に左右される。
現在:金貨3⇒組織、受け継ぐ、伝統。なんらかの団体や権威者から知恵を受け継ぐ。
未来:世界(逆)⇒成功に近いところまでいくが、達成には至らない。さまざまなことに手を出し、すべて中途半端に終わる。なぜなら、障害を乗り越えずにほったらかしにしたり、他のことに目を向けて気を紛らわそうとするので、いつまでたっても問題は解決しない。
びっくりなのは、9日に現在のカードとして出た「棒の7(逆)」が過去のカードとして出たこと(カードは全部で78枚あるのに)。
カードの解釈は、本や占う人によって微妙に変わるけど、基本的には同じ。9日の時点では、連立重視で対立を避けるため亀井の主張を呑んで、亀井大臣留任で、とりあえず組閣。ところが支持率アップで民主党が強気になったために、会期延長を巡って、再び亀井との対立が激化。
そして、亀井大臣辞任後の現在を示すカードは、「金貨の3」。亀井辞任で表向き菅内閣は安定した。菅内閣は、閣僚のほとんどを鳩山内閣から引き継いでいるだけでなく、東アジア共同体構想も引き継いだ。おまけに菅は所信表明で「私を信頼していただきたい」と口にして、鳩山の「トラストミー」まで引き継いだ。アホだな。
未来のカードの「世界(逆)」は、これまでの民主党のやり方そのもの。やるやる詐欺と誰かに言われていたが、そのまんま。
政治と金の問題も、見え見えの嘘と言い訳だけでうやむやにしてきた。菅政権は、クリーン(笑)で脱小沢らしいが、小沢の証人喚問などする気はない。荒井の事務所費問題も適当に終わりにするつもりだ。
マニュフェストと政策の整合性のなさを検証することもなく、増税するといったり、しないといったり。党内の意見の統一も、選挙優先であえて議論せず、なあなあな状態。亀井大臣辞任後の国民新党の扱いも、郵政法案を参院選後の国会で成立させるという覚書を交わして連立は維持という中途半端な対応。
そんな意味のカードが、まだ未来のカードとして出るということは、首相が菅に変わろうが、小沢が引っ込もうが、民主党の中身は変わらないということ。結局、民主党が与党になる前から放置してきた(マスゴミも協力して放置)数々の問題が、民主党が本当にやりたいことをやるときに、足かせになる感じ。
それにしても、懲りずに菅政権と民主党に期待する人達の心理が謎。少し前に書いた運のいい他人を羨む人が多いことと関係しているような気がしている。そのことについては、そのうち書くつもり。
さて、今回占った未来は、何日後のことだろう?
posted by らいと at 22:00|

2010年04月10日

ひぇ〜。困ったちゃんは主観的−その4

 困ったちゃんシリーズその4は、マスゴミにいる左翼脳の困ったちゃんだ。左翼の明確な定義は難しいが、ここで取り上げるのは、左翼「脳」の人たちだ。左翼っぽい考え方の人という緩い定義にしておく。
 左翼っぽい考えとは、@無防備宣言など、非現実的な方法で平和や安全が確保できると平然と言う。A自虐史観で、日本は贖罪の意味で、北朝鮮や韓国、中国の言いなりになるべきだと平然と言う。B基本的に反米だが、オバマ大統領は好き。C弱者や貧困層の不満を代弁したがるが、自分たちは勝ち組だというプライドを持っている。D自民党を憎んでいる反動で、見苦しいまでに民主党を擁護する。
 一番わかりやすいのは、最後のDだ。鳩山政権のあまりのグダグダぶりに、今になって民主党批判を始めた連中もいるが、バー通だの瑣末なことで麻生政権を叩き、民主党をヨイショしていた人間は基本的に左翼脳だ。麻生政権に対する数々のイチャモンと同レベルのイチャモンが鳩山政権に付けられていれば、とっくの昔に内閣総辞職である。というか鳩山も小沢も議員辞職だ。
 毎日新聞の論説委員という肩書きで、テレビにもコメンテーターとして出ている与良正男。この男も、鳥越俊太郎同様、左翼脳丸出しの爺さんだ。この爺さんを例に、左翼脳がいかに主観的かを考察してみよう。
 最近、与良は、自分が書いた民主党擁護の記事を立花隆氏に批判されてつまらない言い訳をしている。
 「いきなり、不安や懸念ばかりを書き立てることが、衆院選で『チェンジ』を求め、政権交代を選んだ多くの有権者の期待に応える報道だろうか」「性急に結論を求めるのではなく、一つでも二つでも改革が進むよう政権の背中を押すのがマスメディアの仕事ではないか」−これが批判の対象になった記事の一部だ。
 この記事に対して、立花氏に、「鳩山政権は不安と懸念がいっぱいだが、それには目をつぶって、現政権の後押しをするのがメディアの役割といっている。」「大本営発表の時代だ。」と批判されている。
 改革を後押しだのと言っているが、民主党の問題点は、改革云々のレベルではない。嘘つき総理、独裁幹事長、金銭スキャンダル、閣内不一致・・・。政治家としての素質が問われるような問題ばかりだ。
 そして、批判に対してこんな言い訳をしている。「権力を厳しく監視するのがマスコミの大前提なのは当然だけれど、単純に政治を批判していれば済む時代ではなくなったのではないか。そう問題提起をしたかったのだが、通じない人にはなかなか通じない。」だと。
 なぜ批判されているのかまったく理解できていない内容になっている。主観的な人間が質問にきちんと答えないのと同じように、批判に対する言い訳にもなっていない。ただの開き直りである。
 この開き直りの文には、数々の主観が込められている。まず、「単純に政治を批判すればいい時代ではない」の部分。自公政権時代のあまりに幼稚な揚げ足取りは、「単純に政治を批判」どころのレベルではなかった。政権交代の世論を作るべく、自公政権への不安や懸念を執拗に書き立てたのはマスゴミ自身である。それが政権交代した途端、不安を書き立てるのはよくない!と言い出すことの整合性のなさが批判されているわけだが、それを「時代」のせいにしている。
 しかし、政権が変わろうとも、時代が変わろうとも、マスコミに求められるのは、常に公正中立な報道である。それこそが有権者の期待に応える報道である。それを自分の身勝手な主観で、変えていいと思っている。そもそも、「時代」の定義が主観的である。この爺さんは、民主党政権になったその日から、時代が変わったと思っているのだろうが、一般的な感覚はそうではない。最近、昭和が舞台のドラマや映画が多いのは、時代の変化を実感するのが今だからだ。ある時代の終わりは、振りかえって気付くことだ。個人的には、数年後に振り返っても民主党が時代を変えたと感じることはないと思う。細川政権が混乱の始まりであって、時代の始まりではなかったように。
 そして、「権力の監視が前提」といいながら、「政治の批判ばかりではよくない」の部分。民主党に対して「権力」という言葉を使うのを避けているのがわかる。左翼マスゴミが言う「権力の監視」が「自民党の監視」であったことがバレバレである。
 主観的な人間は、基本的に二枚舌である。客観性が欠落しているわけだから、当然、事実に基づいた判断はできない。彼らは、自分の思いが通じる相手かどうかによって物事を判断する。それは、「通じない人には通じない」の部分でもわかる。自分の言い分を理解しない人間に対して、「通じない」の一言で片付けてしまう。
 自分の思いを汲みってくれる相手なら賞賛を、汲み取ってくれない相手なら批判をする。「誰が」それをするのか、が大事なのだ。だから、同じ事柄でも、自民党がすれば批判され、民主党がすれば賞賛・擁護されることになる。相手によって、言うことが正反対になったりするのは、そのせいである。
 鳩山、韓国、千羽鶴の女、左翼脳の爺さん。今までも書いたように、主観的な人間は、相手が自分の主張を理解してくれるかどうかにしか関心がない。理解するのは相手の方であって、自分が相手の主張を理解する気はさらさらない。だから、「通じない、情がない、わかってくれない」と理解しない相手を責め立てる。互いに理解しあうという発想がそもそもないから、話し合いは成立しない。
 この爺さんの締めの文章も客観性ゼロである。「世の中、そんなに簡単に白か黒か、決めつけてはいけない。灰色部分を丁寧に解き明かしていくのが新聞の仕事だと信じている。」だと。
 恐ろしいほどに、己が見えていない。自民党は黒、民主党は白。ネットは黒で、新聞・テレビは白。この世のすべてを無理やり白と黒に分けているのが、マスゴミだということが、ばれていないと思っている。
 批判に対して開き直る文章しか書けない客観性ゼロの人間が、何を丁寧に解き明かすのか?笑わせんなよ。有権者が求めているのは、お前の主観的な思い込みではない。
 こんなのが論説委員をしているのが、日本の新聞社のレベルである。とっとと廃刊しろ。

posted by らいと at 18:00|

2010年04月03日

ひぇ〜。困ったちゃんは、主観的−その3。

 困ったちゃんシリーズその3は、善人気取りの困ったちゃんだ。「ハイチ地震の被災者に千羽鶴を送ろう!」とか言い出すような人達だ。「やらない善よりやる偽善」という言葉もそれを言う連中も嫌いだということは、前に書いたことがあるが、彼らの提案が胡散臭い理由は、主観的だからだ。提案の根拠が主観的なのだ。
 ハイチに千羽鶴を送ろうという提案に対して、多くの批判が寄せられた。「明日食べるものにも困る人達に千羽鶴を送っても意味がない。」「ハイチの人には千羽鶴の意味はわからない。」等々、もっともな意見だ。ところが、これらの批判に対して、この運動の主は、「批判もあるけど、悲しんでいる人達に一人じゃないよと言う気持ちを届けたい。」と言っている。集まった千羽鶴に対しても「人の想い」がたくさん集まったと言っている。それを届けたいのだと。おそろしく主観的だ。しかも、この人は、思いじゃなくて、想いという字を使っている。想いの方がより感傷的でかなり重症の主観的人間だ。
 知らない国の見知らぬ誰かから、一人じゃないよという想いを送られることが迷惑だと言われているのに、答えになっていない。その1、その2でも書いたように、主観的な人は、質問の答えが答えになっていないのが特徴だ。超主観人間の鳩山と同様に、この人も自分の「想い」に固執していて、話がかみ合わない。
 この人の提案は、主観によるいくつもの決め付けに基づいている。この人やこの提案に賛同する人の頭の中では、被災者は一人ぼっちで悲しい思いをしているということになっているが、ハイチの被災者はそもそも一人ではない。身近な人を亡くした悲しみが、孤独とイコールになってしまうのも主観による決め付けだ。いかにも現代の日本社会の問題点として、日本のマスコミが取り上げたがる「現代人はみな孤独」という物差しをハイチの被災者に当てはめてしまっている。身近に家族や友達がいても孤独感、疎外感を感じているはずという決め付けがある。そもそも、地震がなくても病気や犯罪で家族を亡くす人達は世界中に大勢いる。ハイチのように治安が悪く、衛生状態の悪い国では尚更だ。日本人が考える以上に、死が身近にある国だ。
 主観による最大の決め付けは、被災者は、縁もゆかりもない自分たちの「一人じゃないよ、という想い」を必要としているはずだという思い込みである。悲しみにくれる被災者に何かしてあげたい⇒「一人じゃないよ」という想いを届けよう、となる過程が不明である。
 悲しみにくれる被災者を癒すのは誰か?答えは、簡単である。ハイチにいる人達だ。被災者同士、親族、友達、近所の人、現地のボランティアの人たち。お互いに助け合いながら、新しい絆や信頼が作られていき、それが傷を癒していくのだろう。「一人じゃないよ」という思いは、同じ体験をした人同士、身近な人同士で分かち合うものだ。ミクシィで仲間作りに没頭している先進国の暇人から紙の工作物が届いて「一人じゃないよという想いがこもっています」と言われたところで「ぽか〜ん」とするしかない。
 被災地では、実用的な物の方が喜ばれるといくら言われても納得しないのも、主観的だからだ。主観的な人にとっては、実用的であることよりも、自分の思いが形になっていることの方が大切だ。募金では、自分の思いと他人の思いが一緒くたにされてしまう。何より、思いを形にするのに現金は無粋だ。だから、千羽鶴のような手作り感のあるものにこだわる。
 相手が喜ぶものではなく、自分たちの思いが形になったと思える物でなければ意味がないのだ。そして、自分たちの思いが形になったものは、喜ばれるはずだという思い込みがある。
 何重にも主観が入り込んだ彼らの提案には、どんな批判も意味がない。実際に千羽鶴を送って、被災者からクレームが来れば、目が覚めるのでは?と思う人もいるかもしれないが、それも無駄である。韓国人が、自分たちの主観と反する意見に対して、「愛情は無いのか!」と逆切れするように、自分の主観が拒否されるということ自体が受け入れられない。
 主観的で客観性の欠如した性格ゆえ、他人の意見は聞き入れない。そして、主観的な性格ゆえ、自分の主観=思いが他人に拒否されることに耐えられない。本当に面倒くさい。だからこそ、困ったちゃんなのだ。
posted by らいと at 19:00|

2010年04月01日

ひぇ〜。困ったちゃんは、主観的−その2。

 昨日、困ったちゃんに共通するのは、主観的な性格だと書いた。主観的な性格とは、すべてにおいて、自分の思いや空想が優先し、自分自身も含めた事実や状況を客観的に見られない性格のことを言う。例として鳩山由紀夫について書いたのだが、超主観的な性格で忘れてはいけない存在がある。韓国人だ。彼らに客観性はゼロである。
 韓国には、普通の国で言うところの歴史はない。韓国人にとっての歴史とは、空想上の朝鮮民族の歴史であって、一般的な歴史の定義とは似て非なるものだ。どういうことかというと、歴史とは過去の事実を明らかにして、今に続く文化や社会のつながりを辿ることにその意義があるわけで、客観的な資料ほど、歴史的資料としての価値が高くなる。ところが、韓国では客観的な資料は、重視されないどころか、否定され、改ざんされてしまう。韓国人は、その主観的な性格ゆえ、「誇らしい民族の歴史」という主観と合致しないことは事実であっても認められない。だから、誇らしくない証拠となる資料は、なかったことにされてしまう。
 現に、日本独自の陵墓として有名な前方後円墳が韓国で発見されたのだが、日本の古墳より新しいことがわかって、埋め直している。日本の古墳より古ければ、「朝鮮の優れた文化が日本に渡った。朝鮮が日本より優れている証拠だ!」と言うつもりだったのが、韓国の方が新しいことがわかってしまうと「日本の文化が韓国に渡った」ことになり誇れないからだ。
 歴史の共同研究の場でも、自分たちの創作した歴史話に都合の悪い資料が出てくると「韓国に対する愛情はないのか!」と言いだすらしい(笑)。歴史の研究に愛情は関係ないし、そもそも歴史に誇らしさや優劣を求めることがおかしいのだが、主観的な彼らにとっては、それこそが一番重要なのだ。彼らにとっては、歴史は誇るためにあるもので、誇れない歴史は存在価値がない。日本の併合時代のような誇れない部分については、悲劇の民族になりきることで、その時代の出来事を検証することから逃げてしまう。事実の検証より、こんなひどい目にあわされたという主観と空想を語ることに終始することになる。
 実在した人物の扱いも主観的だ。韓国では、どういうわけか伊藤博文を暗殺した安重根という男を英雄扱いしているのだが、最近になって、安を将軍と呼ぼうという運動を始めている。自国の英雄の肩書きは立派な方が誇らしいからだろうが、将軍という地位になかった人物を後世の人間が将軍にしてしまうことの問題点に気付かないのは、アホとしかいいようがない。こうやって、誇らしい歴史話を作っていくわけだ。安王になる日も近いな。
 竹島は日本固有の領土だが、この当たり前の主張に対して、「情けない日本」という言葉を使うのも彼らの主観的な性質をよく現している。韓国の言い分を無視する日本は情けがない=思いやりがない、ということを言いたいんだろうが、領土問題ですら、思いやりの問題にすり替わってしまう。そして、思いやりを受けるのは、常に自分の方で、相手に対する思いやりはない。普天間基地問題で、自分がアメリカを怒らせる原因を作っているのに、当然のようにアメリカ側の譲歩を期待している超主観人間の鳩山も同じだ。
 韓国と歴史認識で話し合いなどするだけ無駄である。北朝鮮と話し合うのも無駄である。主観的な人間は、常識的で客観的な人間とは相容れない。そんなことはないと思う人は、鳩山と話し合いが成立するかどうかよく考えて見ることだ。
posted by らいと at 22:37|