2011年10月12日

ほー。テレビ欄の端に追いやられたフジの韓流ゴリ押しの今後。

今年の夏、韓流びいきが過ぎるという理由でデモの抗議のターゲットになったフジテレビ。
局全体の編成内容や番組構成が原因で、テレビ局がデモの矛先になるなんて前代未聞なんじゃないの?
開き直ったのか、やけくそなのか知らないけれど、フジテレビでは10月の新ドラマとして、無名の韓国人女優の主演ドラマを放送予定。
ついこの間のフジの音楽番組「HEY!HEY!HEY!」もK−POPアーティストだらけだったみたいだし。
韓流びいきでフジ擁護の人間の言い分だと、韓流は視聴率がとれるはずなんだから、テレビ欄に「K−POP特集!」と書けばいいのに、タイトルは「18年目突入記念!元気が湧いてくる名曲スペシャル!」で、K−POPの文字はなし。
本当に言ってることと、やってることがちぐはぐ。

アナログ時代は、「NHK、日テレ、TBS、フジ、朝日、テレ東」で中央の位置をゲットしていたテレビ欄も、デジタル完全移行に伴って、朝日、テレ東より右側、というか一番端になってしまった。
テレビ欄を見るときは、左→右へと視線が移るから、一番右端を見る前に気になる番組があったら、とりあえずそっちにチャンネルを合わせる人が多そう。このテレビ欄の並び順の変更は、地味に視聴率やテレビ局のイメージに影響しそうな気がするんだよね。

てなわけで、「ブームを作るのはテレビだ!」なバブル的センスを引きずって韓流ブームを捏造した結果、一般視聴者を敵に回し、デジタル化でテレビ欄の端に追いやられたフジテレビの韓流ゴリ押しの今後を占ってみた。

占なった日。10月12日。
お題「フジテレビにおける韓流ゴリ押しの今後」
過去:棒の5
現在:運命の輪
未来:金貨の7(逆)

過去の「棒の5」は、他人、自分との戦い。衝突、敵意。
韓流びいきがすぎて、日本の一般視聴者を敵に回したことを指すのはもちろんだけど、フジテレビ内部や韓国サイドの関係者の間にもいろいろ対立や揉め事がありそう。
なぜなら、今年の2月、KARAが解散するだのなんだのと騒いでいた頃に、韓流の今後を占なったときにも、このカードが出たから。韓国人は、いつでもどこでも自ら敵を作って、揉めているイメージだし。

現在の「運命の輪」は、有利な展開、チャンスが来るってことなんだけど、チャンスをものに出来るかどうかは運次第ってことでもある。このチャンスは、韓国人女優の主演ドラマのことかな〜。チャンスが来るというよりは、フジテレビ自らチャンスの場を用意したって感じか。
このカードには、文字通り「運命の輪」が描いてあるんだけど、丸い円盤の外周に8つの記号が描いてあって、昔のテレビのチャンネルの丸い部分に似ている。手でひねって回す奴。
視聴者が、運よくフジテレビにチャンネルを合わせてくれるかどうかは、未来のカードを見ればわかる。

未来は「金貨の7(逆)」金銭面での不安、損失、むなしさ、努力は実らない。
フジテレビとしては、このドラマをヒットさせて、「やっぱり韓流人気は本物だった!」って展開にしたいんだろうけど、むなしい結果に終わる。
フジは、このドラマの制作にどれだけ金を出したのか知らないけれど、回収できそうにない。
このカードには、金銭が足かせになって、抜け出したくても抜け出せない状況になる、という意味もある。
韓流に金を使って回収できず、損が膨らんだ結果、ますます制作費等の予算が少なくなり、今以上に安価な韓流コンテンツに頼らざるを得なくなるのかも?


posted by らいと at 21:50|

2011年09月08日

はぁ?おかしな日本語で営業するな。

最近、会社にかかってきたバカセールスの電話。
バカ「今、御社でPCのセキュリティ対策をとっていただいてるじゃないですか〜」
私「いいえ、お宅とは取引ありませんけど?」
バカ「いや、セキュリティ対策をとっていただいてますよね〜」
私「とっていただいてる、って言い方変でしょ?」
バカ「え、いや。だから、新しいセキュリティ対策のご紹介を・・・」
私「おたくのセキュリティ対策はいらないから。」
ガチャ。
ってことで終了。

この電話の兄ちゃんは、自分の日本語のどこがおかしいのかわからなかったようだけど、説明するのもアホらしいので、すぐ切った。
ここの会社と取引があって、その会社のセキュリティシステムをうちの会社で採用してるなら、「(弊社の)セキュリティ対策をとっていただいている」で合っている。
でも、取引がないのだから「とっていただいている」わけがない。
うちの会社のセキュリティ対策の有無だって知っているはずがない。
なのに、「セキュリティ対策をすでにとっていただいている」前提で話をしようとする。
取引はないけど、なんらかのセキュリティ対策をとっているだろう、と言うことを言いたいなら、「対策をとっていらっしゃいますか?」、もしくは「すでに、対策はとってらっしゃると思いますが、・・・」と聞くのが正しい。
たんにバカなだけだという可能性もあるが、回線業者とか、この手のセールス電話は、すでに取引がある体で、話し始める。
それがむかつく。
紛らわしい言い回しをすれば、こっちが黙って聞くと思ったら大間違い。
posted by らいと at 21:20|

2011年09月05日

へっ!驕れる小沢と紳助は久しからず

小沢と紳助が似ていると書いたのは、2009年の12月だった。
あの時の小沢は、幹事長だった。詐欺フェストとマスゴミの援護で政権交代した後、与党となった民主党の幹事長だった小沢はやりたい放題だった。
慣例を無視して、天皇陛下に中国要人との会見をゴリ押しし、宮内庁に批判されて逆切れしたのもこの頃。

紳助はというと、2008年の年末にヘキサゴン内ユニット「羞恥心」が紅白出場を果たして、二匹目のどじょうを狙えとばかりに、あれもこれもとユニットを連発していた時期だ。新撰組リアンとかいうユニットのプロデュースを始めたのが2009年。ヘキサゴン絡みのユニットは、フジテレビの意向もあってのことだろうが、リアンの方は、紳助都合のゴリ押し企画な気がする。
この頃から、素人目にもわかるほど、紳助の番組の私物化が目に余るようになった。

自分の方が強い立場にあると過信して、すぐに図に乗る。
弱いものには強く出て、強いものには媚びへつらう。
自分の影響力を誇示するために、過剰に傲慢な態度をとるが、根が小心者なので打たれ弱い。
小沢も紳助も子飼のマスゴミ相手に自分都合の会見だけして、引きこもり。
引きこもってもマスゴミに追い掛け回されないのも同じ。
朝青龍を追い掛け回してたときのように、マスゴミも紳助のプライベートを追いかけなさいよ。

性質が似ている二人は、業界内での影響力を失った理由も似ている。
2011年の8月、民主党代表選を控えて、またぞろ小沢頼みになるかと思いきや、ふたを開けてみたら、小沢の神通力は消えていた。さすがの御用マスゴミも「豪腕」と言わなくなったな(笑)。
番組内で、紳助シンパを無理やり作って、「面倒見のいい俺って、ええ人やん」アピールがうざかった紳助も、コンプライアンスという名の暴力団排斥の流れには勝てず、逃げるように引退宣言。

小沢も紳助も、謙虚さの欠如と自浄能力のなさが自らを追い込んだように思う。
政治と金の問題も芸能人とやくざの問題も、昔からのお約束ネタだ。
金銭スキャンダルで失脚した政治家もいれば、逃げ切る政治家もいる。
やくざと関係があっても、干される芸能人もいれば、干されない芸能人もいる。
時代の流れで、昔はセーフでも今はアウトなこともある。
二人とも、自分は逃げ切れる方の人間だと思っていたのだろう。
そして、少し前の状況では、逃げ切れそうではあった。

民主党への政権交代を仕掛けるのに必死なマスゴミは、小沢の金の問題を責めるどころか、「推定無罪だ」と擁護した。
民主党が与党になってからも、ことあるごとに党内での小沢の影響力の大きさが強調された。

紳助の番組は、長寿番組もあるが、短命番組も多い。視聴率が振るわずに打ち切られても、タイトルだけ変えて、紳助メインの新番組が始まるだけだった。
紳助はトークの技術が特別高いわけではない。だから、冠番組といっても、さんま御殿のようなトークがメインの番組ではなく、法律相談とかクイズとか、トークに頼らずとも成立する企画の番組がほとんどだ。
クイズや法律相談の合間に、タレントをいじるだけだから、紳助じゃなくても他のタレントでも代わりが務まる。

二人とも、マスゴミや取り巻きの自分に対する甘い態度に増長し、「政党や番組を私物化して何が悪い」という態度に出るところも似ている。
小沢は幹事長ではあったが、閣僚ではないのに、内閣の仕事に口を出し、小沢チルドレンを引き連れて、仰々しく中国詣で。
政治主導という名の自分主導を実現すべく、官僚の答弁禁止など、自分が好き勝手にやれるルールを作るのにやっきだった。
紳助も番組内で自分の店の宣伝をしたり、チャリティー企画をねじ込んだり、本来の番組の企画主旨とは無関係なことを始めた。
また、若手のタレントを生かすも殺すも自由に出来るプロデューサーというポジションがよほど気に入ったのか、「紳助社長のプロデュース大作戦」なる番組までできた。

ところが、やはり「驕れる者久しからず」なのだな。
二人ともやりすぎたのだ。
ここに至るまでの間に、自省し態度を改めていれば、ここまで信頼を落とすこともなかっただろう。
「誰も俺の首に鈴は付けられまい」とたかをくくっているうちに、ライバルに裏をかかれ、逃げる穴もないほどの包囲網が張られていた。
「どうしてこうなった」と凹んでいるかもしれないが、今更、悔やんでも遅いのだ。
小心で、それ故、お山の大将になりたがる男は、所詮、天下をとれる器ではないのだ。
posted by らいと at 20:54|

2011年05月07日

はぁ?ナイーブは褒め言葉ではないぞ。

少し前、『みんなの家庭の医学』という番組を見ていた時のこと。
その日は「便秘」の特集だったので、便秘に悩む女性芸能人がゲストとして多数出演していた。
その中の一人に貧乏アイドルの女性タレントがいたのだが、その発言に首をかしげた。
解説として出演していた医師が、ストレスも便秘の原因になるという話の流れで、彼女に「ナイーブなんでしょうね。」と言った。すると、それを聞いた彼女は「褒められた〜」と喜んだのだ。
はぁ?それは褒め言葉ではないぞ。

採用試験の性格テストの結果に「ナイーブ」と書いてあったら、まず採用されない。
「ナイーブですね」は、精神的な弱さをやんわり指摘する時に使うことが多い。芸術家とかなら、「繊細さ」は褒め言葉になりうるけど、一般的には褒め言葉ではない。これが褒め言葉だと思う人は、繊細で傷つきやすい自分に酔っている。ひょっとすると、傷つきやすいキャラを演じているだけで、実際は、ナイーブではないのかもしれない。

そして、こんな人が増えているような気がする。今の時代は、強いことよりも弱いことをアピールすることで注目されることが多い。
昔、いじめっ子だった過去を告白する芸能人はあまりいないが、いじめられっ子だったと告白する芸能人は実に多い。
拒食症、自傷行為、薬物依存・・・。そんな心の弱さや傷ついた経験を自伝やインタビューで告白する芸能人が多い。

自分の未熟さをアピールする人とそれに共感する人たち。自己憐憫に浸り、弱さゆえに損な生き方を強要されていると思い込んでいる。彼らは、エリートや成功者の失敗は許さないが、自分と同じ臭いのする未熟者の失敗には甘い。

そんな弱さや未熟さがアピールポイントになる時代に、政権与党になった民主党が、未熟で打たれ弱いことは無関係ではない気がしている。
民主党を支持する人たちは、自分の未熟さと民主党の未熟さを同一視しているように見える。彼らにとって、未熟さや弱さは長所であって、短所だとは思っていないから、その未熟さが政治的な失敗と直結していることを認めるわけにはいかない。
民主党の失敗を認めることは、自分の未熟さが短所であることを認めることになる。
民主党支持者が、未だに民主党を庇い、自民党や官僚や東電の方が悪いと言い続けるのはそんな理由じゃないかと思っている。

精神的に弱い人間は、自分と同じように未熟な人間を甘やかす。それを優しさだと勘違いしている。
でも、精神的に弱い人間は、他人に優しくなどできない。なぜなら、他人に優しくなるためには、精神的な余裕が必要だからだ。そして、精神的な余裕とは、精神的な強さのことに他ならない。
民主党を潰すには、未熟者を甘やかす社会そのものをどうにかしないといけないのかもしれない。
posted by らいと at 00:09|

2011年04月01日

はる。自粛したってしなくたって、桜は今年も咲くんだな。

東北関東大震災以降の自粛ムードが経済に悪影響だというけど、自粛するものとしないものの線引きが難しいところ。特に今回の自粛ムードは、震災被害の甚大さのほかに節電も影響しているし。

ただ飲んで騒ぎたいだけ、集まってわいわいしたいだけみたいなイベントは自粛でいいと思うけど、個人的に目的のあるイベントやお祝いごとは自粛しなくていいと思う。
結婚式や入学式など、人生の門出を祝うセレモニーは、素直にお祝いしてあげればいい。
震災後に結婚式を延期しない人を不謹慎だと怒る人もいるようだが、自分の身内に不幸がないのに、結婚式を延期する理由はない。
不幸な出来事は、日々世界中にあふれているし、幸せな出来事も日々、世界中にあふれている。
避難先で元気な赤ちゃんが生まれたとニュースでとりあげていたけど、消えた命もあれば、新しく生まれる命もある。
毎日が誰かの誕生日だし、毎日が誰かの命日だ。今は、悲しみの方が大きくても、本来、人生には喜びと悲しみが混在している。
子供を亡くした人が大勢いるのだから、出産祝いをするなという必要もない。被災地で、結婚式があったっていいと思うし、こんな時だからこそ避難所でも子供の誕生日はお祝いしてあげてほしい。
震災の影響で、ディズニーランドが休業してるけど、春休みに卒業旅行でディズニーランドに行くのを楽しみにしていた学生も多いと思う。「テーマパークで遊んでいる場合か!」と怒る人もいるんだろうけど、卒業旅行は学生にとってはメモリアルなイベントだし、別に遊んだっていいんだよ。
不自由な生活を強いられている被災者のことを考えて遊ぶなと言うなら、風呂も入るべきではないし、暖かいご飯をお腹一杯食べるのも自粛すべきだろう。
でも、食事を避難所と同じ内容にしても、被災者の空腹が満たされるわけではないし、遊ぶのを我慢したからって、被災者の心が癒えるわけでもない。

石原都知事は、花見は自粛するようにと発言してるけど、飲酒を伴う花見は自粛対象でいいと思う。なぜなら、花見は、酒飲みが羽目をはずして野外でどんちゃん騒ぎしたいだけのイベントと化しているから。
酒を飲んで憂さを晴らしたいのは、むしろ被災者の方だろうし、上野公園に集まる酒飲みのおっさんの憂さなどどうでもいい。酔っ払いのためにライトアップするのも電気の無駄だし。

だけど、静かな花見は自粛しなくていいと思う。
東北といえば、青森の弘前さくらまつりが有名だけど、華美な催しは控えるとしても、桜は今年も咲くのだから、被災者のためにもさくらまつりは開催してほしいと思う。
被災者や遺族の人たちは、今年の桜は見る余裕がないかもしれないけれど、毎年、変わりなく咲く桜とともに月日は過ぎていく。
人間の幸不幸と関係なく、毎年変わらず、新しい季節の到来を知らせる花は、無情でもあるし、優しくもある。
被災地での心のケアも大事かもしれないけど、時間しか癒せないこともあると思う。
「被災者のことを考えよう」と言うけれど、他人の悲しみに同調することが、優しさとも限らない。
悲しみが癒えるのは、月日がたって、悲しみ以上の喜びを感じられた時だと思うから。
posted by らいと at 23:32|