2013年03月20日

へん!おそろいにこだわる格差脳は、いじめの元凶

キスマイヲタの格差脳は、デビュー前は格差がなかったと言い張るけど、少し前に『少年倶楽部』でデイブレイカーって曲をABC−Zってグループと一緒に歌ってるジュニア時代の映像を見たけど、この時も3:4じゃん。
違うのは、玉森が4のほうにいて、千賀が3のほうにいること。
衣装が一緒だったというんだろうけど、衣装が一緒だろうが一緒じゃなかろうが、3:4で歌割、カメラ割りに差があるのは事実。
でも、格差脳にとって重要なのは、とにもかくにも衣装が同じか否かなのだ。このあたりが、格差脳が浅はかで狭量な理由。

そもそも「おそろいの衣装じゃなければかわいそう。」と思う感覚がよくわからない。
自分は、学生時代、制服が嫌いだった。それは制服のデザインのせいではなく、全員同じ服を着せられるのが嫌だったからだ。
でも、いまどきは、学校の制服を着せられることになんの抵抗もない人が多い。志望校を制服のデザインで決めるような子も多い。リボンを大きくしたぐらいで、個性を出したつもりになっている。
AKBを筆頭に18歳オーバーのアイドルも制服みたいな衣装を着ている。世の中、おそろいであることに慣れすぎているのだ。

街で自分と同じ服やバッグを持ってる人とバッタリ遭遇したら気まずいと思う人が多いはずだ。なのに、なぜおそろいにこだわるのか?
格差脳の言い分をながめていて、気づいたのは、同じ服であることが、同じグループの証だと思っていること。逆に言うと、同じ服でなければ、同じグループとは認められないと思っているということ。
これは、いじめっ子の理論だ。
みんなと同じものを着たり、持ったりしていなければ、それだけで仲間はずれの動機になってしまう。

今も昔も、「友達が持ってるから」という理由で親におねだりする子供は多い。友達が持ってるのを見て、単に自分も欲しいと思っただけなら問題ないが、「みんなと同じものを持たなければ、仲間はずれにされる。」と思ってるなら問題だ。
そう感じてしまう側にも、そう感じさせてしまう側にも問題がある。
「みんな白系のファッションなのに、なんで黒なの?ダサいよ。」
「え〜!まだ買ってないの?この中で持ってないの、まる子だけだよ〜。」
こういうことを平気で言うし、そう言われる側にならないように仲間の目を気にして生きている。
おそろいの服を着ていれば安心だ。格差脳は、そう信じている。

格差脳が、ツイッターで共感乞食になるのもいじめっ子的だ。
「キスマイやセクシーゾーンに格差をつけるジャニーズ事務所はおかしい。共感する人RT」とかやってる。
仲間を作ることに必死な人間は、仲間じゃない人を排斥することにも必死になる。そうやって、周囲の人間を味方と敵に分けていく。味方にならない奴は、すべて敵なのだ。中立はない。
仲間なら、みな同じ物を持ったり着たりするはずだと思っている。キスマイは、同じ服を着たいのに、着せてもらえないと思っている。キスマイは、私服だったらおそろいなのかよ。

こういう人がいるから、いじめはなくならないのだ。ドラマ「夜行観覧車」でも、町内会の意地悪婆が、着物で集まる会にひとりだけ洋服で来た新人りをいびっていた。洋服で来るように仕向けたのはその婆なんだけど。
いじめっ子にとって、服の違いを指摘することは、仲間はずれを知らせる最もわかりやすい方法なのだ。
でも、同じ服を着ていなくても仲間は仲間。そう思える人間のほうが健全だ。
「なんでみんなと同じ服じゃないの?」と嫌みったらしく言う奴がいたら、「おそろいにこだわる様な心の狭い人間にはなりたくないからね。」と答えることにしよう。

posted by らいと at 21:10|

ふむ。格差のないアイドルグープなんてただの幻想

民主党と格差脳がいなくなりますように、とブログに書いてから1年とちょっと。
民主党はあと少しで消滅しそうな情勢だけど、格差脳は相変わらずぐちぐち言ってる。なんだか最近は、「セクシーゾーンの格差は妥当」って記事でも書かなきゃいけないのか?って情勢(笑)。

格差脳はいつ気付くだろう。
格差のないアイドルグループなどこの世に存在しないということに。
格差があるのが問題なのではなくて、格差を気にする人間に問題があるということに。

格差脳が、格差がないと主張する嵐だって、ファンでもなんでもない人間から見れば、櫻井くんの露出が一番が多いし、待遇がいいと感じる。慶応卒の肩書きでニュースキャスターやるのはわかるとして、演技力もないのに、ドラマや映画の出演が多いのは不相応に思う。
 
まだ、高額納税者番付が公表されていた頃、タレント部門ではスマップの中居くんが一位だったりした。というわけで、スマップは、毎年、収入格差を世間にさらされていたわけだけど、今でも番付があったら、嵐の収入格差も明らかになっていただろう。
タレント側は、納税額が公表されるのは嫌だっただろうが、納税者番付の公表は、庶民にとっては結構楽しみな芸能ネタだった。番付が公表されることに文句を言う庶民はいなかった。
でも、今だったら、「同じグループなのに収入格差があるのはおかしい。」とか「嵐はこんなランキングが公表されることを望んでいません。共感する人RT」とかツイートする人がいそうだ。
昔のアイドルグループには格差がなかったかのようなことを言い張る人がいるけど、格差がなかったわけではなくて、「格差」という言葉が一般的ではなかったし、気にする人がいなかっただけ。

茶の間でアイドルグループの話が出れば、「(グループ名)の中だったら誰が好き?」という話で花が咲く。嵐だって例外ではない。自分も聞かれたことがある。
そんなときに、「私は箱推しだから、誰が好きとか決められない(キリッ)」って答えたら、ドン引きされるに決まってる。
二人組でも、「○○の方が好き」または、「どっちも好きではない」の2択しかない。「どっちも好き」とか「みんな好き」とかいう綺麗ごとの答えは求められていないのだ。
二人以上の人間が同じグループやコミュニティにいれば、比較されるのが運命。同級生だって兄弟だって、比較される。同じ服を着ていれば、比較されないわけではない。
「誰が一番○○か」をみんな気にしているのだ。
でも、身近な人間や友達の中で「誰が一番か」を話題にするのは、えげつない(話題にする人もいるけど)。
芸能人が対象なら、気兼ねなく話せるし、話したい。

「誰が一番かを知りたい」というえげつない欲求を芸能人で満たしているのかもしれない。そう考えると、お茶の間で格付けされるのも芸能人の役目なのかも。
「キスマイBUSAIKU」って番組だって、格付け番組だし、ロンハーの人気企画の名前は、「格付けしあう○○たち」だ。
自分は格付けされたくないが、芸能人が格付けされるのを見るのは楽しいと思うのが世間。
格差がかわいそうだと思ってるなら、「キスマイBUSAIKU」も楽しめないと思うんだけど、格付けを理由にレギュラー化に文句をつけてる人はみかけない。

アイドルグループに格差があるのはおかしいと言いながら、「○○担で、副担は△△くんです。××くんは神担です。」とか意味がわからない。自担が決まってるということは、そのグループの中で一番を決めているということ。そして、グループでの活動以上に、ひいきのメンバーの個人活動を渇望している。
「7人じゃなければキスマイじゃない。」とか言いながら、ソロや好みのシンメで活躍する場を望んでいる。自分の好きな組み合わせで分けるなら文句はないのだ。
コンサートでも個人名の団扇を作って、自担にアピールするのに必死なんだろうけど、グループ名の団扇を作りなさいよ。格差脳は、当然、箱推しなんでしょ?
本当に格差脳って浅はか。

posted by らいと at 21:03|